Collection: Art exhibition catalogue ♯5

シンポジウム『タイポグラフィ・タイプフェイスのいま』
女子美術大学 2004
Symposium “Today’s Typography and Typeface”
Letters for Printing in Digital Age
Joshibi University of Art and Design 2004

図録コレクションから第五弾 | 図録と会議録

ノートやメモは自分のために残すもの。書いては捨ててしまうものも少なくないかもしれないけれど。2004年12月4日、ヒラギノ明朝体や小塚明朝など国内主要書体の書体設計家やデザイナーの先生方が女子美術大学相模原キャンパス2号館224教室に一堂に会して『タイポグラフィ・タイプフェイスのいま。デジタル時代の印刷文字』というシンポジウムが開催された。観覧者だった僕は、第三部で司会を務められた教授 (*) のお話を20年後に思い出すことなどつゆも知らずにメモしていた。

印刷物の与える影響 丸ゴシックの出現 → 手書き丸文字の出現

「我々はもう連綿で平仮名を書きませんから、それは印刷文字からの影響とも言える。私は丸文字第一世代ですが、本文に丸い文字やゴシックを使い始めたことが影響している。書き文字が印刷文字に影響を与えるよりは、印刷文字が書き文字に影響する方が多いのは歴史的に見てもほぼ間違いないと思います」

 

21年前のフライヤーと丸文字第二世代のメモ

20年後、独学の僕は「あの日、あの会場にいたんです」とはさすがに言えなかった。昨年、iwao galleryで20年ぶりにお目にかかった永原教授のサイン入りのご著書を “利き紙” してみようと、その帰路、鞄から取り出した。カバーに使われている紙の面質はヴァンヌーボのようで違う。アラベールやミスターB系にも思えるのだけれど、どちらかというと阿波和紙「いんべ」厚口を白く薄くしたようなオフセット印刷用紙はちょっと思い浮かばなかった(波光という用紙だった)。本の内容を表しているはずのタイトルの書体は、20年前のあの日を思い起こすような連綿の平仮名だった。連綿の平仮名フォントなんて僕は見たことがなかった。それはきっと先生の研究室で設計(デザイン)された書体に違いないと僕は勝手に想像した。

造本コンセプト『日本語のデザイン 文字からみる視覚文化史』永原康史: takeopaper.com

*当時、国際情報科学芸術アカデミー (IAMAS) 教授、のちに多摩美術大学教授、デザイナー&アートディレクター。写真上・左隅は女子美術大学図書館・女子美術大学美術館共同企画展『活字書体の源流をたどる』図録(2006年)

 

Collection: Art exhibition catalogue ♯4

『ジョセフ・アルバースの授業 色と素材の実験室』
DIC川村記念美術館 2023
“Josef Albers: Pedagogical Experiments”
Kawamura Memorial DIC Museum of Art 2023

図録コレクションから第四弾

展覧会のタイトルどおり、入場者が参加できるワークショップがあった。バウハウスやブラックマウンテン・カレッジの美術教師だったジョセフ・アルバースの教えのように、一枚の紙を折って何らかの形を作り出し、紙は折ることで強度も得られることを知る。あるいは複数の色紙を重ね合わせて色の相互作用を体験する。一方で、画家でデザイナーでもあったジョセフ・アルバースの「正方形讃歌」シリーズを展示ブースで見たときには、あくまで僕は配色実験の要素よりも、近づけばなぜかその筆跡にアンドリュー・ワイエスの絵から感じる静謐さと似たようなものを感じたり、引きで見るとその大きさも相まって一際美しいミニマリズムの抽象画に思えた。などと、感想を述べることさえおこがましく感じるけれど、DIC川村記念美術館が閉館する前に素晴らしい展覧会を見られたことは幸せだった。図録には様々なバウハウス関連書籍を補完するようなテキストと図版が満載されている。352頁、発行: 水声社

 

『一般教育と美術教育 所有的か生産的か』ジョセフ・アルバース/『ジョセフ・アルバースの授業』より

ここで、いわゆる進歩主義教育のもたらしたお粗末な遺産について触れておきたいと思います。それは、あらゆる芸術にとってきわめて重要な原理は、自己表現であるという考えです。私は自己表現が芸術学習の始まりだとも、いかなる芸術の最終目標であるとも思いません。(中略)しかし不思議なことに、そのような落書きを自己表現 − それゆえ芸術として受け入れてしまう人は少なくないのです。

『デザインについて バウハウスから生まれたものづくり』アニ・アルバース

古代ギリシアの水がめは、現代で使うには向かないけれども、いまだに私たちに崇敬の念を抱かせてくれます。今度はバケツはどうでしょう。現代においてはだいたい同じような用途を果たすものです。古代の器に比べたらはるかに機能的ではあるけれど、小恥ずかしくて赤面しそうになりませんか。なぜなら、遠い将来、私たちの文化水準がバケツ並みだと判断されそうだからです。

*テキスタイルアーティストのアニ・アルバースの言葉は工芸品と大量生産品についての所感というニュアンス。

 

Books | Left to Right:『配色の設計』ジョセフ・アルバース 永原康史監訳、『ブラック マウンテン カレッジへ行って、考えた』永原康史、『デザインについて バウハウスから生まれたものづくり』アニ・アルバース 日髙杏子訳、『美の構成学 バウハウスからフラクタルまで』三井秀樹、『BAUHAUS HUNDRED 1919 – 2019』伊藤俊治

 

Collection: Art exhibition catalogue ♯3

『初期浮世絵展 版の力・筆の力』
千葉市美術館 2016
“An Exhibition of Early Ukiyo-e: Power of the Woodblock, Power of the Brush”
Chiba City Museum of Art 2016

図録コレクションから第三弾

平安貴族の女性は黒髪ロングのストレート。江戸時代の美人画の女性はかんざしを挿して髪をアップに結い上げている。西から東へ、鎌倉時代からの流れかと思いきや、日本髪と呼ばれる江戸のヘアスタイルは歌舞伎で言うところの女形スターの容姿を女性が模したのが発端、つまり男装らしい。江戸の大衆文化はわりとジェンダー・ニュートラルだったのかもしれないし、社会学的に浮世絵を鑑賞するのも面白いかもしれない。
2016年の『初期浮世絵展』は日本大学芸術学部美術学科出身の女性が案内してくれたもので、事前に菱川師宣記念館に立ち寄っていたことが伏線となった。前知識を有していなかった自分の方が夢中になってしまった。その感動は書ききれないし、ここでは知ったかぶりで絵師の名を列挙するのはやめよう。屏風画にも、絵巻にも圧倒された。実物はすごい。描かれている物語のスケール、モノとしてのディテール。和本にも見入ってしまった。そんな中、1741年頃に遠近法を試みて、遠近感が一部おかしくなった奥村政信の「両国橋夕涼見大浮絵」を始めとする三点には、このような涙ぐましい努力があって新時代が開かれるのだ、と泣きたいくらい感動したのを覚えている。心残りは、紙に着目するのを忘れたこと。和紙であることに違いはないだろうけれど、きっと和紙だから残るのだ。

 

Left: 奥村政信と西村重長 Right: 菱川師宣
この図録は実に301頁、図版195点、1430g。タイポグラフィが美しい。
図録制作: 美術出版社デザインセンター
参考文献: 『春画のからくり』田中優子、『江戸へようこそ』杉浦日向子、『和本入門』橋口侯之介

 

Collection: Art exhibition catalogue ♯2

『版と型の日本美術』
町田市立国際版画美術館 1997
“Impressions in Japanese Art”
Machida City Museum of Graphic Arts 1997

図録コレクションから第二弾

紙を発明したのは中国だった。原料にセイタンという植物の樹皮を用いた手漉紙を宣紙という。手漉きの技術が日本に伝わり、原料に雁皮や楮(こうぞ)を用いて和紙が生まれた。「もともと日本には文字すらなかった」。昨年、デザイナーで多摩美術大学元教授の永原康史先生は蔵前のiwao galleryでそう仰られた。先生のご著書『日本語のデザイン 文字からみる視覚文化史 (*)』では「紙のデザイン」の章で中国由来の装飾紙、唐紙(からかみ)が取り上げられている。町田市立国際版画美術館の図録『版と型の日本美術』にも「料紙装飾」の章で唐紙に関する学術的解説がある。二冊を併読すると、貝殻の粉や顔料を混ぜ合わせて色をつけ、さらに文様が摺られた唐紙はそれ自体が美しいけれど、その装飾を活かすように余白をたっぷり設けて書かれる女文字(平仮名)の美しいこと。平安時代、貴族の嗜みは紙とタイポグラフィがセットなのだ。図録は京都便利堂の制作。章立ては、型押(仏像)、型染(着物の文様)、料紙装飾(唐紙)、仏教版画、模写、出版(経典)、そして版画(浮世絵)。2006年に女子美術大学で見た『KIMONO 小袖にみる華・デザインの世界』展とも重なる。充実の内容にも関わらず、美術館では今や¥1,400という格安プライスタグがついている。図録の在庫数は数冊とのこと。

*私の所有する本は永原教授のサイン入りiwao galleryエディション。先生と磯辺さんに感謝します。
*女文字や女手と呼ばれた平仮名が公用で使われたのは紫式部の源氏物語以降、それ以前は漢字のみ。

 

Left: 昨年の展示では宣紙にジークレープリントされていた中国出身ロンドン拠点のビジュアルアーティストFeiyi Wenさんの作品
Right: 『日本語のデザイン 文字からみる視覚文化史』永原康史
他の参考文献: 『日本史を支えてきた和紙の話』朽見行雄、『和本への招待 日本人と書物の歴史』橋口侯之介

 

Collection: Art exhibition catalogue ♯1

まえおき: 自分にとっての教科書として、美術展鑑賞の際に時々購入する展覧会図録をいくつかここにアーカイブしておく試み。自分の言葉で言語化するのは難しいけれど。

『版画 × 写真 1839 – 1900』
町田市立国際版画美術館 2022
“Prints x Photographs 1839 – 1900”
Machida City Museum of Graphic Arts 2022

それは描かれたものなので版画に見える(写真上)。西洋画家の間で流行したらしいクリシェ=ヴェールという技法は、ネガとなるガラス板に乳剤を塗って、それを掻き落としながら絵を描き、ガラス板の下に印画紙を置いて日光で焼きつけるものらしい。インクを使わない、版画の世界のオルタナティブ・プロセスかもしれないし、薬品や印画紙や露光は写真技法。
1800年代、カロタイプを考案して、世界で初めて写真集を作ったのはクリシェ=ヴェールの発明者でもあったイギリスの物理学者ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボットだった。2022年に町田市立国際版画美術館で開かれた『版画 × 写真 1839 – 1900』展の図録には、版画と写真の関係性が多くは平易な短文と図版で纏められている。手触りが良いこの本には表紙を含めて三種類のマット調の用紙が使われている。掲載内容は、トルボット(図録表記はタルボット)やナダールなど歴史上の人物と作品、カメラ・オブスクラ、ダゲレオタイプ、ネガ・ポジ法や鶏卵紙、カロタイプ、バクステロタイプ、ピクトリアリズムなどの技法や動向、風景: 記録と芸術、報道: 主観と客観、芸術と商業の論争。印刷はニューカラー写真印刷。

 

世界最初の写真集、トルボットの『自然の鉛筆』日本語版 赤々舎
The Pencil of Nature / William Henry Fox Talbot (AKAAKA, 2016)

トルボットが用いた「フォトジェニック」という言葉は、見栄えの良い綺麗な写真という意味ではなく、光で絵を描く写真技法のこと。畠山直哉氏の著書『話す写真』に解説があった気がする。2010年のポートフォリオ・レビューでレビュワーを務められた編集長もこう仰られていた。「写真は写真にした時点で、どれもフォトジェニックなんですよ」

 

Eggs and Asparagus / Hereafter

Hereafter by Federico Clavarino. Skinnerboox, 2019
Eggs And Asparagus by Marcello Galvani. Skinnerboox, 2017

Eggs And Asparagus』というタイトルからは食卓や団欒、ページを捲っていくと特定地区の日常や風習を写しとったフォトストーリーに感じられる。2019年のブックフェアの会場でIACK河野さんから「ここに売り物として持ってきたものではないのですが」とこっそりお見せ頂いたのがマルセロ・ガルバーニの写真集だった。大判8×10、あるいは中判6×7を思わせるその縦横比率と作画は、まるでアメリカのスティーブン・ショアのようで、所々はイタリアのグイド・グイディのようで、しっとりとした色味はルイジ・ギッリのようだった。三者(四者?)をいっぺんに味わえるようなその写真集の後日のオーダーをお約束して、ある写真家への個人的なお礼の品に当時もう一冊オーダーさせて頂いた。本をお送りした方からは、のちにそのお礼にと同じイタリアの写真家フェデリコ・クラヴァリーノの『Hereafter』がIACK経由で送られてきたのだった。

 

Hereafter』を手にとると、間接的に色々と教わった(と僕が勝手に感じている)ある人を思い浮かべる。Roots、History、Family Archive、自身のアイデンティティにも紐づくようなそれらの言葉をよく用いていたのは、ロンドン芸術大学でMA (Master of Arts) in journalismの修士号を取得しているスロヴァキアの写真家Michaela Nagyidaiováだった。狭義では、演出していないものをドキュメンタリー写真と呼ぶかもしれないけれど、組写真で構成するものには(過去を写せない写真では)事実の事象のモチーフとなる史料、地図や手紙、生前撮られた写真などを引用したりコラージュすることもあるかもしれない。ある時期、彼女のシリーズを度々目にして(*)、彼女のZINE『Revisiting the Roots』を一冊郵送してもらい、数年前には彼女が創設したプラットフォームの公募とそのオンライン展示「Hidden Histories」に僕も参加した。フェデリコ・クラヴァリーノの『Hereafter』にも先に挙げたキーのいずれか、あるいはすべてが内包されている。

二冊の内容についてはIACKのサイト(文中のリンク)で解説されている。今更ながらも読書メーターには登録出来ない一部の写真集購読ログとして。 [book review]

*彼女の名前のイニシャルは僕と同じなので、アルファベット順で表記されるコンペティションや公募の選出者リストで隣り合うことがあった。

 

Der Sonnenstich by Katinka Bock

Der Sonnenstich by Katinka Bock. Roma Publications, 2023

フォーム(形、形態、Form)を示唆しているのかなと想像しながらページを捲って、これは家に置いておこうと購入したのは、ドイツの彫刻家カティンカ・ボックの写真集。白黒写真主体の写真集はミニマリズムの画家エルズワース・ケリーなど、写真家ではないアーティストのものしか今の僕は所有していない。

ここ数年、メニエール病が再発さえしなければ、Post ClassicalとかNu-Jazzあたりの音楽を聴いているのだけれど、ポーランドのピアニストHania Raniの、まるでアートブックのような楽譜(Esja / Home)を知ったとき、書棚に飾ったり、観賞用の本としてコレクションしたいと思った。この写真集の購入動機もほぼ同じだった。以前、スウェーデンの出版社エディタが、私は薄くて美しい本が好きだ、と仰っていた。ハードカバーでボリュームのないものをうまく想像出来なかったけれど、美しさとは詰め込むことよりも省くことかもしれない。この写真集の装丁には作家名とタイトルしかなく、下地とほぼ同色のデボス(凹)加工となっている。光の加減によってはその文字は消失し、白いテーブルにこの本を置くと、薄くて平らなプライウッドのように見える。美術館の白い部屋に積み重ねられていたら、遠目には本とは気づかず彫刻と見紛うかもしれない。そんな佇まいに、不思議と親しみやすさすら覚える。極めてシンプルな美しさを持つハードカバーの本には初めて巡りあったような気もする。

Photographを日本語訳すると、写真ではなく光画であると何かの本で読んだ気がする。この本のドイツ語タイトル『Der Sonnenstich』は「日射病」らしい。「Sonne」と「stich」で「太陽の棘」。購入したショップとは異なるけれど、この本の刊行の経緯と内容は金沢IACKのサイトで解説されている。

 

 

One Eyed Ulysses by JM Ramírez-Suassi

One Eyed Ulysses by JM Ramírez-Suassi. WebsiteInstagram

「版元ではソールドアウト。最後は日本に向けて発送」。その数日後、石川県金沢市のオルタナティブスペース・IACKサイト上で紹介されていた写真集。自費出版でブックフェアにも出展されていた活動にも敬意を込めて、Tumblrで長年フォローさせて頂いているスペインの写真家JM Ramírez-Suassi氏の「単眼(ひとつ目)のユリシーズ」を紹介させて頂きます。

 

動画 : 1分50秒
ギリシャ神話のユリシーズ Ulysses、単眼の神はキュクロープス Cyclops。昔、日本大学芸術学部美術科出身の元パートナーが西洋絵画を学ぶ上でギリシャ神話は外せないと言っていたことをちょっと思い出します。Suassi氏の写真集にステートメントは記されておらず、オフィシャルサイト上にテーマと、ドキュメンタリーの形式はとっていない旨が記されています。Tumblrではこれまで常に6枚ずつくらいのセットで投稿されていて、それらは辺境の地の孤独 solitude (≠loneliness)、憂鬱 melancholy、そして動物の死骸などの直接的な表現は、死との遭遇と自然 The encounter with death and nature のイメージでした。そんな中、本になった写真集を手にとってみると、引き伸ばされた判の大きさも相まって、直視というよりも客観的 an objective eye、最後の有刺鉄線は境界線 a boundary line、表紙ブックデザインからはその世界を覗く bird’s eye view、あるいは生命や希望を見つけるような印象も受けました。辺境から都市部へ、2013年から2017年までの4年間をかけて、一部を除きスペイン・マドリードで制作されたと写真集に記されています。

One Eyed Ulysses by JM Ramírez-Suassi
First edition published by NOW Photobooks, 2018
24x30cm / 91 photos / 144 pages / 175 copies
ISBN 978-84-09-00299-3
Distributor: IACK online : ¥6,588

*2020年、私は6年間使用したTumblrから撤退しています。