
前にしか飛ばないトンボは勝ち虫として縁起物とされるけれど、羽黒蜻蛉(ハグロトンボ)の僕のイメージはちょっと違う。他のトンボのように素早く飛んだりヘリコプターのようなホバリングはしない。木陰の地面でじっと休み、ひらひらと舞い、神の使いとも言われ、水の綺麗な場所に生息する。そんな羽黒蜻蛉は地元自治会エリアを象徴する生物。関東大震災で軒並み井戸が枯れた際、この地区の湧き水が重宝されたという記録が残されている。僕は今年度から自治会協議委員を務めている。役員会議のあと、学習・文化活動に携わられている役員さんに呼び止められて羽黒蜻蛉のことを尋ねられた。僕が写真シリーズの一環として試作した折り本を地元の観光協会が主催するガイドウォークのイベント用に50部ほど提供してもらえないかとの相談だった。その制作費も支払われるという。

地元の羽黒蜻蛉は、雑木林の中に佇む小さな神社の境内に集まってくる。神社から坂を下った先には6月に蛍が舞う小川が流れている。僕は大地主の会計役員さんに尋ねた。「神社の崖下に『水の神様』が祀ってあると聞いたんですけど」。「うん、あるよ」と大地主さんは言った。「あそこ、昔はわさび畑があったからね」。副会長は言った。「わさびは今も採れる」。「わさび? じゃあ、綺麗な水辺の辻褄が合いますね」と僕は言った。すると前会長の自治会顧問が「でも今年の羽黒蜻蛉は数が少ないよ。東京で絶滅危惧種というのも頷けるね」と言った。別の協議委員さんは折り本を見て「これ素敵。パタパタパタって畳めるし、白黒がいいじゃない。翅が綺麗に映えるから」と言った。ガイドウォークの参加者の方々に自ら紙を折って頂くのも体験のひとつになるかもしれないし、折り本は屏風のように立てられるので、いっとき部屋にも飾れるかもしれない。生物も文化財も、時が経つと失われてしまうものがあると依頼主の役員さんは言っていた。ちょっとした制作物が一転して地元に貢献できるなら、これは嬉しい誤算と思えた。
