deja vu

ヤー・チャイカ、ヘルシンキ、スティル・ライフ。突発性難聴になった昨年12月以来、視界も狭くなる感覚。意外と聴覚がセンサーを担っていたような気もする。猫のように。神経の腫れ、閉塞感、耳鳴りと痛み、片方の音が聞こえないことよりも、気配を誤る。体の外の。そんな中、心の置き場所のように池澤夏樹さんの本を繰り返し読んでいます。「スティル・ライフ」は20年ぶり、もっと早く読み返せばよかったと後悔。これは、昨年足を運んだ写真展とも偶然重なる話など、三つの小説の読後ログ。

 

『雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた』池澤夏樹「スティル・ライフ」より

文庫本の「スティル・ライフ」は、電子書籍版と一部が異なる。段組レイアウト、上部の余白。88年当時のエディトリアルデザイナーの意図かもしれないし、電子書籍のテキストフォーマットでは再現できないのかもしれない。その余白が透明感のある文体をより引き立てているように感じる。僕のサイト名の由来とは関係なく、この本の英語版タイトルは「Still Lives」。人と人、登場人物の二人が依存せず、ある種の距離感を保ったまま過ごした時間。今読むと、佐々井が見せる写真、その独特な鑑賞方法にはちょっと共感もしてしまう。芥川賞受賞作。

 

『私は木だ。林の中の一本の木。木である私はずっと昔の記憶しか持たず、ただそこに立って夏の美しい光と冬の弱い光を浴び、雨と雪と風をうけ、一日単位の深呼吸をしている』池澤夏樹「ヘルシンキ」より

1月、書店で文庫本の短編集「きみのためのバラ」を見つけた。初めて見る本で初版は平成二十二年だった。「ヘルシンキ」という短編がその中にあった。ホテルの食堂、公園、川のほとり、針葉樹。僕はヘルシンキに行ったことがないけれど、昨年同じタイトルの写真展示へ行き、photozineも入手している。decoさんASAMIさんの「Helsinki」最終ページには、お二人が訪れた場所のMapもグラフィックデザイナー・ASAMI (soreikea)さんによって描かれている。ビジュアルイメージを補完するのにそれ以上のものは見当たらなかった。そうして「ヘルシンキ」を読み終わり、続く短編は「人生の広場」、舞台はドイツ・ミュンヘンに移る。電車の中で読みながらビルケンシュトックの靴を買いに行った。フィッティング中、ショップの店員さんが、私ここに来る前は二子玉店にいたんです、と言うので、じゃあネイバー知ってますか?と一度しか行っていないのに知ったかぶりをして、駅から少し行ったいいところですよね、という言葉にひとつ前の章へ戻るようにヘルシンキの風景を思い浮かべた。

*過去記事「A journey into Helsinki | in Futakotamagawa

 

『わたしは恐竜を飼っています。恐竜を飼うにはいろいろ注意が必要です。恐竜はとても大きくて、首も長いので、顔は地面からずっと高いところにあります。ですから、一番の問題は相手の顔を正面から見てやる機会がめったにないということです』池澤夏樹「ヤー・チャイカ」より

幼き頃には見えていて、いつかそれとお別れをする。昨年夏、一色真由美 × 小山奈那子・二人展「波の穂」の会場で、合わせてTeam Aqubiのポートフォリオも見せてもらったとき、House Beastsの説明に奈那子さんは「これは(私達版の)『かいじゅうたちのいるところ』みたいな」と表現した。同時に僕は昔読んだはずの小説の記憶を辿った。咄嗟に脳内検索はヒットしなかった。正月、「スティル・ライフ」の収録作「ヤー・チャイカ」を再読、これだ!と思った。父と娘カンナの交信を描いた美しい物語。恐竜ディッピーの頭に座っていたカンナは、成長する過程でいつかきっと波の穂も踏み、さらに先へ進むのだろうと思った。

*過去記事「Minami-Nagasaki (incl.「波の穂」動画)

この記事の掲載写真は僕のシリーズ “Wintertag“, “White out” より | 池澤夏樹さんの本(特に小説)はもう滅多に書店では見かけない。「骨は珊瑚、眼は真珠」、「マリコ/マリキータ」、これら短編集は電子書籍 (iBooks | 池澤夏樹特集ページ)で。