clair de lune

スティル・ライフの「雨崎」にも似た岬にはこの日は行けなかった。横浜から京急に乗り、終着駅からはバスに乗って古い付き合いの木管五重奏団の拠点・三浦半島へ向かった。その日は乗り換える度にふーっと深呼吸した。空気が特別美味しいと感じたわけではない。都心へ出るよりも遠いけれど県内だからいつもの空気。昨年までは車だった。特定周波数帯に難がある難聴側の左耳に耳栓をして、電車内で発作が起きないことを願って、キャリーにカメラバッグをセットして、アンソニー・ドーア「すべての見えない光」の代わりにピアノ譜をその中に入れた。二ヶ月かけて読み終えた本とその関連音楽と、メニエール病日記。

 

序章 : 月の光だ、とフルート奏者の菜美さんが譜面を持って、フランス印象派ドビュッシーのメロディを口ずさんだ。どうしたんですかこれ、と菜美さんは言って、弾いてもらえないかと思って買ってきましたと僕は答えた。周りを囲むように集まってきた楽団の皆は、事前に代表のホルン奏者なつかさんに伝えていた事情を聞いていたのか、それぞれに近親者の目眩治療やメニエール病経験者の話を聞かせてくれた。ファゴット奏者の中村君が譜面を覗き込んで、五線上のドイツ語かイタリア語の意味を教えてくれた。彼はいつも誰にでもわかるように初級音楽理論を教えてくれる。菜美さんの本業はフルートとピアノの講師。初見で弾けるかなぁ、と言った菜美さんに僕は期待した。あのピアノって鍵は開いてるんでしたっけ?と菜美さんが会場のピアノを指差し、ホルン奏者のなつかさんが、使用禁止です、と答えた。迂闊だった。木管五重奏にピアノは使わない。鍵の有無はともかく使用許可を得ていないのは当然だった。やれやれ、と落胆しながらもルールは守るためにあるのだ。

 

テラスの下から1年ぶりに聞く声がした。双子姉妹は来年中学生。姉の方はもう身長が私と同じなんです、ほんとなんですよ、と菜美さんが言って、僕は妹の方に目を向けた。抜くから!抜くから!と妹は二度訴えた。

読後ログ :「すべての見えない光」を読み始めた頃、第二次世界大戦下、ラジオから流れる「月の光」は伏線かなと思った。そう思って、実際に「月の光」を時々聴きながら物語を読み進めた。二ヶ月かけてその大作を読み終える頃、その水面のように穏やかな「月の光」がレクイエムとなっているような気がした。正確には「月の光」はレクイエムとして作曲されたものではないけれど、フランスの盲目の少女マリー・ロールを救うべく僅かな時間交錯したドイツの少年ヴェルナーに捧げるために、そうであってほしいと思った。

 

「すべての見えない光」。光に触れるには同時に暗闇にも触れなければならない。しかし、暗闇の中だからこそ微かに見える光がある。「月の光」はそれを表す象徴のひとつ。第12章、最終章、1940年代から始まったその物語は現代の2014年を迎えていた。その壮大な物語との別れを惜しむように読み終えたとき、仮にそこで音楽を流すなら、やはり「月の光」が相応しいと思った。そして、「レクイエム」という単語をwikiで引いた。そこに「月の光」が出てこないことを確認した代わりに、そこで目にしたのはヴェルナーという名前だった。それは実在したドイツの作曲家名だった。物語の外側まで、著者が紐づけていたのかはわからないけれど、素晴らしい本の余韻に、生演奏による「月の光」を本の贈り主やそれを読んだ人達とシェアできたらと思った。中判で撮った愛娘の写真を額装して贈ったら、菜美さんはまたの機会に演奏を引き受けてくれるだろうか。

 

京急三崎口駅前ロータリー。2013年、僕のある写真のロケーションを岡野康史さんにお教えし、その後、岡野さんはその岬へ向かった

メニエール日記 : 三浦へ行った日、五分と歩けなかった。そういう意味では時期尚早で、それはわかっていた。電車の乗り換えに隣のホームに移動するくらいは出来た。目眩の揺れが脳に蓄積され、行き慣れた岬に三崎口駅から歩いて行くことは到底困難だった。そして、彼女達の演奏会の記憶が飛んでいる。いつもどおり第一部があって、ティー・タイムがあって、第二部があったはずだけれどそこの記憶がない。多分、演奏会が始まる前のお客様がいない会場で、テラスで集合写真を撮ろうと提案して、マキナにもフィルムを装填してファインダーを覗いたとき、五人を撮るのは久しぶりだと思って、それで安心してプツンと気力が切れたのだ。

 

池澤夏樹スティル・ライフの「雨崎」は東京湾側の観音崎周辺を想像したけれど、僕の好きな岬は相模湾側だ。写真はRollei 35SE。

その一週間前の午前三時、自分は救急車にいた。明らかにメニエールだな、と隊員さんは言った。搬送先の病院のベッドで安定剤と点滴を受けて発作が落ち着いてきた朝方、セカンドオピニオンではないけれどその病院の医師の言葉を反芻した。眠ればすべてがシャットアウトされます、とシンプルに先生は言った。三浦から一週間後、起床と同時に難聴と耳鳴りが回復していて(12月以来!)、身動きしたときの目眩の頻度もだいぶ減っていた。時間がかかっても病状を受け入れること。意識の上では「雨崎」のような三浦の岬の上に座り、いつか海面に降る雪の写真を撮れたらと思った。